書物という無限の宇宙を探訪する『図書館──愛書家の楽園』

アルベルト・マンゲルの『図書館──愛書家の楽園』は、図書館をめぐる豊かな歴史と逸話とを、愛書家の眼差しを通して浮かび上がらせた魅惑的な書物。本書における図書館は、単に知識を保存する空間ではなく、人間の記憶を宿し、想像力を拡張し、権力や歴史の影を反映させる「知の宇宙」として描かれる。そこでは、知の全体性1への憧憬とその不可能性、記憶と忘却の相克、自由と統制の交錯、秩序と混沌のせめぎ合い、そして読者が辿る無限の旅が交錯する。図書館という迷宮をめぐる探訪は、人間精神の奥底を映す寓話的行為でもある。

起源の夢と喪失の記憶

図書館の歴史を語るとき、必ずといってよいほど言及されるのがアレクサンドリア大図書館ではないだろうか。そこに人類のあらゆる知識を収めようとした壮大な企ては、知の全体性への希求を象徴している。と同時に、この夢は幾度もの火災や略奪、失われた巻物の伝説によって喪失の物語として伝えられてきた。知の体系を完全に保存するという志向は、ことごとく断絶と欠落を伴ってしまう。

この喪失の記憶は、近代に至っても繰り返される。戦争や革命における図書館の破壊、植民地支配下での文化の抹消など、図書館は常に歴史の暴力にさらされてきた。図書館は人類の知的冒険の始源であると同時に、破壊の影をまとった存在でもある。マンゲルの文章からはそうした二重性の響きが静かに感じられ、図書館を永遠に完成しない夢として位置づけているかのように思える。

記憶と想像の図書館

図書館はまた、現実に存在する建築物に限られない。人間は古来、想像力によって「架空の図書館」を創り上げ、その中で知識と夢を組み合わせてきた。想像上の図書館は、現実の図書館が課せられる制約──空間や予算、権力による制御──を超え、無限に拡張する場として人間の精神に息づく。

マンゲルは、こうした「想像の図書館」が文学や芸術の中に繰り返し登場することにも注目する。ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』に登場するネモ船長の図書室も、その好例といえる。ノーチラス号という閉ざされた潜水艦の内部に広がる数千冊の蔵書は、現実の物理的条件を超越した「完璧な図書館」として幻視される。

この図書室は、触覚的・身体的な書物の記憶というよりも、むしろ人類が夢見る「完全な図書館」の一つの投影でもある。すべての必要な知識が手の届く場所にあり、しかもそれが閉ざされた世界であればあるほど、図書館は理想的な普遍性を帯びるだろう。

このような「想像の図書館」は、ネモ船長の図書室にとどまらない。トマス・モアの『ユートピア』や、フランスの幻想小説に描かれた無限の蔵書、さらには現代のSFが想定する宇宙船内の知識データベースもまた、その系譜に連なるだろう。現実に存在しないがゆえに、こうした図書館はむしろ「記憶の完全性」「知の普遍性」を人類に夢見させる。

権力と知の統制

自由の象徴であると同時に、権力による統制の装置でもある図書館。ヒトラーが所有した数万冊の蔵書は、彼の思想を形成する支えでありながら、焚書2による思想の排除と表裏一体をなしていた。知の収集は支配の手段となり、図書館は「知を開く場」であると同時に「知を閉ざす場」となる。

この逆説は歴史的に繰り返されてきたといえるだろう。宗教改革期の異端審問による書物の検閲、植民地支配下における知の独占、さらには現代のデジタル・アーカイブをめぐる国家的な情報統制など、図書館は自由と抑圧が交差する場であり続ける。マンゲルはこの点を強調し、図書館を「権力と自由の力学を映し出す鏡」として描いている。

つまるところ図書館は、知識を普遍的に開く夢を体現しながら、その夢が同時に権力によって利用され、歪められる運命を背負っている。知識の体系化が孕む暴力性や、読書という行為の有する両義性について、マンゲルは冷静な分析を加えている。

秩序と混沌の迷宮

図書館のもう一つの本質は、秩序と混沌がせめぎ合う迷宮性3ではないだろうか。分類や目録といった秩序化の技術は、人類が知識を整理し支配しようとする衝動を可視化する。だが書物の増殖は常に秩序を崩壊させ、再び混沌へと回帰させる。図書館は秩序を志向しながら、無秩序を内包する装置として機能する。

ボルヘスの「バベルの図書館」は、この迷宮性を極限まで推し進めた寓話だ。そこでは無限の書棚にすべての書物が収められており、意味ある書と意味なき文字の羅列が無差別に並ぶ。人は「正しい書」を求めて永遠に彷徨う。

この迷宮性は、現実の図書館にも通じる。目録の不完全さ、分類の恣意性、閲覧の不自由──そうした限界が逆に図書館の魅力を深めてゆくのだから興味深い。秩序と混沌が交錯する場だからこそ、図書館は人間の知を永遠に刺激し続けるのかもしれない。

読書という深遠なる宇宙の旅

図書館は単に「楽園」であるだけでなく、読書という宇宙的旅を体験させる場であると思う。一冊の書物が別の書物を呼び起こし、引用や連想が新たな通路を開き、読者は果てしない探訪に誘われる。そこでは個人の記憶と人類の歴史がさまざまに交差し、読者は「知の宇宙」を歩む旅人となる。

図書館は記憶の装置であり、想像の舞台であり、権力の影を宿す場であり、秩序と混沌の境界線でもある。けれども、それらすべてが重なり合うことで、図書館は「終わりなき宇宙」として立ち現れる。マンゲルが描き出すのは、愛書家の恍惚や郷愁を超えた、図書館そのものが持つ比喩的・宇宙的魅力なのではないだろうか。

註釈
  1. 全体性:知識を一つに統合しようとする思想的志向。常に挫折と喪失を伴う。 ↩︎
  2. 焚書:権力による書物の焼却。思想統制の象徴的行為。 ↩︎
  3. 迷宮性:秩序化を志向しながら混沌を不可避的に含み込む構造。 ↩︎

FEATURES

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