光と闇のはざまで両性具有の境界を問いに付す『闇の左手』

アーシュラ・K・ル・グィンの『闇の左手』は、極寒の惑星ゲセンを舞台に、性の境界が曖昧な異星人との交流を描いた思弁的なSF小説。エクーメンからの使節ゲンリー・アイと、ゲセンの政治家エストラーヴェンとの関係を軸に、性別という概念の解体と、異文化理解の可能性が探究される。本稿では、この作品が提示する思考実験の意味と、現代的な射程について考察する。

極寒の惑星に仕掛けられた思考実験

雪に閉ざされた惑星ゲセン、それは作者ル・グィンが仕掛けた巧妙な思考実験の舞台装置。この氷に覆われた惑星で、人々は月に一度だけ「ケメル」と呼ばれる性的な期間を迎え、その際に男性または女性のどちらかになる。この設定は、私たちが当然視している性別という概念を根底から問い直す。

エクーメンからの使節ゲンリー・アイの目を通して語られる物語は、異文化接触の困難さをつぶさに描き出す。彼は最初、カルハイドの宰相エストラーベンの曖昧な性(格)に戸惑い、ときには嫌悪感さえ抱く。読み進むにつれ、読者もまた別軸の戸惑いを物語から味わうことになる。私たちは、いかに性別という枠組みに依存して他者を理解しようとしているか、そのことを痛烈に思い知らされるだろう。

アンビセクシュアルな社会の政治学

興味深いのは、ル・グィンがゲセンの政治構造を描く際の細やかな配慮。カルハイドとオルゴレインという二つの国家は、それぞれ異なる政治体制を持つ。前者は封建的な王国であり、後者は官僚制の共産主義的国家を思わせる。ところが、それぞれに既視感のある政治・社会体制であるにもかかわらず、どちらの社会にも「男性的」「女性的」という固定的な役割分担は存在しない。

ここで気づかされるのは、権力の分配と行使の仕組みが、我たちの社会とは根本的に異なるということ。カルハイドでは王を頂点とする階層制があるものの、その階層は血縁や能力に基づいており、性別による排除は存在しない。オルゴレインの官僚制においても、昇進や人事は性別とは無関係な基準で行われる。つまり、政治参加の機会が性別によって制限されることがない。

カルハイドの宮廷において重要な地位を占めていたはずのエストラーベンは、ある理由により失脚し、やがて亡命を余儀なくされる。この過程で明らかになるのは、権力闘争の本質が性別とは無関係な次元にあること。野心、嫉妬、保身といった人間の根源的な感情は、性の境界を超えて普遍的に存在することを静かに、けれど説得力をもって訴えてくる。

さらに重要なのは、ゲセンの社会には戦争が存在しないという設定。ル・グィンは、攻撃性や競争心を「男性的」なものとする私たちの固定観念を問い直している。両性具有の社会では、暴力による問題解決よりも、交渉や妥協による合意形成が重視される。政治の本質を武力による支配から、対話による統治へと転換させる可能性を示唆しているともとれる。こうした控えめながら芯のある主張が、自然なかたちで物語世界に溶け込んでいるところなど、さすがの構成力と感服させられる。

異文化理解の困難と可能性の萌芽

ゲンリー・アイとエストラーベンの関係は、この作品の核心をなしている。エクーメンからの使節と、政治的に失脚したゲセンの元高官。二人の間には、言語、文化、そして身体的な差異という三重の障壁が存在する。ゲンリー・アイは、エストラーベンの真意を理解することに長いあいだ苦しむ。それは、彼がエクーメンの価値観に束縛されていることにも起因するだろう。

それでも、物語が進むにつれて、言葉や論理を超えたところに真の理解は生まれるか、という大きな問いが明確な試練として示されることになる。ここでル・グィンが描いているのは、理解の本質的な困難さと、それにもかかわらず人間がもつ他者への共感能力の可能性であったかもしれない。

氷原という試練の場

物語のクライマックスとなる氷原の横断は、単なる冒険譚にとどまらない深みを湛える。それは、二人の主人公が真の理解への到達を目指す旅における通過儀礼でもある。ゲセンの氷原は、文明から隔絶された原始的な空間として機能する。ここでは、政治的地位も文化的背景も、生存という根源的な課題の前では無意味となる。

氷原における零下何十度という厳しい寒さ、食料の不足、体力の限界、そして常につきまとう死の危険。これらの物理的な試練は、同時に精神的な試練となって二人を襲う。ゲンリー・アイは、エストラーベンに生命を依存せざるを得ない状況に置かれることで、自分の偏見や固定観念と向き合うことを余儀なくされるだろう。

この過酷な旅路のなかで、ゲンリー・アイとエストラーベンははじめて「心語」といわれるテレパシーにも似た技術によって、心と言葉が繋がる形で情報をやり取りする方法による対話を交わす。この心語による交流は、作品の転換点として機能しているように思う。言葉による誤解や文化的な隔たりを超えて、二人は直接的な精神の接触を果たす。それは、相手が互いにとって異星人であるかどうかの別を超え、深い思考と感情をもつ一個の人格同士であることの実感を獲得できるかどうかの賭けでもあるだろう。

世界を見る作家の眼差し

『闇の左手』が発表された1969年という時代背景を考えると、ル・グィンの先見性には驚かされる。フェミニズム運動が本格化する前の時期に、この作品を通して性別という概念そのものを解体してみせている。現代の私たちが直面するジェンダーの問題について、彼女は半世紀も前に重要な問いを投げかけていたことになる。

もっとも、この作品の価値は、単にジェンダー論の先駆的な作品であることにとどまらないのも明らかだろう。ル・グィンが描いたのは、より普遍的な人間の条件についての洞察ではないだろうか。異なる文化、異なる価値観をもつ者同士が、いかにして理解しあうことができるのか(もしくはできないのか)。この問いは、現代のグローバル化した世界において(さらには、そのなかでの揺り戻しという状況も含め)、ますます重要性を増している。

この物語の終盤の展開は、さまざまに深い余韻を読者に残す。理解や共感というものが、ときとして大きな代償を伴うことも示しているかもしれない。それでも、この作品が最終的に希望の書であることは誰しも読みとれるのではないだろうか。困難を乗り越えた先に、新しい理解の地平が開かれる。その地平を信じる心こそが、ル・グィンが私たちに託した最も貴重な贈り物であるような気がする。

FEATURES

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